イエスの尊い御血
7月1日は、御受難修道会では固有の祝日「イエス・キリストの尊い御血」をお祝いしました。
読書課の第二朗読 御受難会の聖人 、聖ヴィンセント・マリア・ストランビ司教の文書より抜粋。
義においてもその限りのない慈しみを示される 私たちの愛する父は現代において、 御ひとり子の尊い御血に対する心と愛のこもった信心を、 信者の心によみがえらせてくださいました。 それは、御血を受けた霊魂たちが いきいきとした信仰と燃える愛を持ってその血を神に捧げることによって、 恵みと憐れみを受けるためです。
この信心は教会が続く限り共に続くと確かに言うことができるのです。 そして私たちを失望させることもないでしょう。 というのは、キリストご自身の言葉、〃これは、わたしの血の杯。新しい永遠の契約である。によれば、 この血は新しい永遠の契約の尊いしるしなのです。 この御血が捧げられることが止むことはなく、 魂を清め、罪を赦すことが止むこともありません。
神父さまのお話しでは、 契約 = 神との約束 = まことの平和 というのが印象に残っています。 イエズスの御血 に目を向けて、その恵みを深く味わうという祝日は、 まさに御受難会ならではのものだなぁ、と感じます。
福音朗読(マルコ12-16、22-26)の中で、 ストランビ司教の文書でも出てきていますが
『これは多くの人のために流される わたしの血、契約の血である。 神の国で新たに飲むその日まで、 ぶどうの実から作ったものを飲むことは もう決してあるまい。』
というイエズスの言葉を何度か読んでいるうちに、何か似ているな…と思ったところがありました。 ヨハネ福音4・14、イエスとサマリアの女との会話でのイエズスの言葉、
『この水を飲む者は決して渇かない。 わたしが与える水は その人の内で泉となり、 永遠の命に至る水が湧き出る。』
キリストの御血 の杯は、私たちの救いの杯です。 今も流され続ける血は、イエズスから流れ出ているんだ… 神さまとの約束で満たされて、決して渇くことは無い。
この御受難会 固有の祝日に、感謝のうちに!