イエスのみこころ

「イエスよ。わたしの心を、あなたの聖心に似たものにしてください」
6月のTopページの言葉は、 教皇フランシスコが お祖母さまから習った、古いお祈りだそうです。
また違うところでですが、こんな言葉もありました。
「 私たちは皆、立ち止まって沈黙するとき、 自分の心の鼓動だけでなく、もっと深いところで 私たちが より頼むことのできる存在の鼓動を感じる必要があります… 」
イエスのみこころに 似たものになる とはどういうことなのだろう。 イエスのみこころの鼓動 とは、それを感じたとき どうなるのだろう。
教皇フランシスコからもうひとつ引用ですが、、
『一人の兵士が槍でイエスの脇腹を刺すと、 そこから血と水とが流れ出ました』(ヨハネ19:34)
十字架上の生贄の小羊であるイエスのみ心から、 人類全体に対する"ゆるしといのち"があふれ出るのです。 しかし、イエスのあわれみは単なる感情ではありません。 それは、いのちを与え、人間をよみがえらせる力なのです…
イエスのみこころには傷がある。 鼓動するたびに、私たちへの「ゆるしと いのち」があふれ出る、 その傷口から、あふれ出ているのだと思った
心臓が鼓動するのは、身体全体に血液をおくるため。 だから イエスのみこころは、 世界のすみずみまで、この世界を満たすまで鼓動しつづける
私たちの心にも、傷がある。 心に傷を負ったことが無い人がいるだろうか? わからないけれど だからこそ、似たものになれるのかもしれないな、と。 その開かれた心を通して、イエスのみこころの愛が流れでますように
今日の祭日に感謝のうちに…