イエスと話そう

2022年03月15日

そう、こんな暖かいから この前まだ蕾だった沈丁花も                                     咲いてるんじゃないかしら~と思うのですが、                                   何か出不精になってしまって…                                            ダメだー ちゃんと光合成しに行こう。たぶん明日!

それでですね。ってあの 1つにしたらちょっと長すぎるかなと思ったので                           一日に2つupすることになってしまいました。

今日のごミサでは、四旬節 第2週になって                                        イエスの教えから、どこかずれてきているのではないか?                                とのお話しに、考えさせられました。

①朗読イザヤ書の、『論じ合おうではないか』という言葉、                               神さまから私たちに論じ合おう、語り合おうと言ってくださっている。                           いま食堂での読書は《教皇フランシスコとマルコ・ポッツァ師との対話 CREDO》                       が読まれているのですが、ちょっと前に聞いたところを思い出しました。

主である神はあなたに何かを求めたり、                                      人生があなたに与える挑戦を ただひたすらゆるしたりするとき、                               あなたを前進させ、勇気づけ、成熟させるために、                                      主のための余地をつくることを期待しています。                                      その際に、神は あなたが自分の疑問をぶつけてくることを決して気にしません。                        むしろ、神を悩ませるのは、あなたが神と対話するために                                誠意をもって自分自身を開いていない場合なのであり、                                 神と話をしようとしないことなのです。

もし、なにかズレが起こっているなら 自分では気づくことはできないと思う。                                          だから いつも話しに行こう。問いかけよう。                                                                                             自分がもっと良くなってから、なんて手遅れだ                                    だいたい そんな日、来ないし…                                            話せなくても、顔を見に行こう、                                        イエスから離れないように。

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう