イエスと話そう
そう、こんな暖かいから この前まだ蕾だった沈丁花も 咲いてるんじゃないかしら~と思うのですが、 何か出不精になってしまって… ダメだー ちゃんと光合成しに行こう。たぶん明日!
それでですね。ってあの 1つにしたらちょっと長すぎるかなと思ったので 一日に2つupすることになってしまいました。
今日のごミサでは、四旬節 第2週になって イエスの教えから、どこかずれてきているのではないか? とのお話しに、考えさせられました。
①朗読イザヤ書の、『論じ合おうではないか』という言葉、 神さまから私たちに論じ合おう、語り合おうと言ってくださっている。 いま食堂での読書は《教皇フランシスコとマルコ・ポッツァ師との対話 CREDO》 が読まれているのですが、ちょっと前に聞いたところを思い出しました。
主である神はあなたに何かを求めたり、 人生があなたに与える挑戦を ただひたすらゆるしたりするとき、 あなたを前進させ、勇気づけ、成熟させるために、 主のための余地をつくることを期待しています。 その際に、神は あなたが自分の疑問をぶつけてくることを決して気にしません。 むしろ、神を悩ませるのは、あなたが神と対話するために 誠意をもって自分自身を開いていない場合なのであり、 神と話をしようとしないことなのです。
もし、なにかズレが起こっているなら 自分では気づくことはできないと思う。 だから いつも話しに行こう。問いかけよう。 自分がもっと良くなってから、なんて手遅れだ だいたい そんな日、来ないし… 話せなくても、顔を見に行こう、 イエスから離れないように。