イエスが呼んでいるから

2022年03月05日

ー  そのとき、イエスは、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、                         「わたしに従いなさい」と言われた。                                             彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。ー 

今日の福音 ルカ5・27-32 の最初のところ。                                          「イエスが呼びかけてくれるからこそ」                                       この四旬節を歩んで行くことが出来る。                                        回心の道を歩んで行くことが出来る。                                          イエスが共に歩んでくださるからこそ… と、今日の神父さまのお話しより。

この箇所を読みながら、思い出したことがありました。                                            福者ラファエル・バロンという人の書いた手紙のひとつで、                             今でもとても印象的に残っています。                         

この福者さんは、トラピストの修道者ですが                                    健康上のことで何度も修道院を出たり入ったりしなければならなかった ということで、                     その手紙は、最後に修道院に戻るために出したものみたいです。                           少し長いですが・・・

人間的に言えば、それが一番賢明なことでしょう。ではどうしましょうか。                       わたしは次のように考えます。どうかそのことについてあなたの考えをお知らせください。

まず、あなたが自分の家で病気にかかっていると仮定しましょう。                            行き届いた看護を受けていますが 中風でほとんど何もすることができません。                      一言でいえば、もうどうしょうもない状態です。                                   

ところがある日、イエスが窓の外を通りかかったとしましょう。                           イエスのあとには罪人とか貧しい人、病人、重たい皮膚病にかかった大勢の人がついていきます。             あなたはイエスがあなたをお呼びになるのを目にするのです。                             そしてあなたのために順番をとってくださるのを・・・ 

そして慈しみに満ちた目であなたをごらんになられます。                              優しさと赦しを与える眼付きです。                                        そして『おまえはどうして わたしに従ってこないのだ』と仰せになります。                       あなたはどうするでしょうか。                                           あなたは「主よ、もしあなたが私に看護人を世話してくださるなら」                            「もし気楽にあなたに従えるようにして下さったら・・・私の健康が悪くならなければ・・・              もしもっと丈夫で自己放棄する力があれば・・・ あなたに従います」と。

いいえ、もしあなたがイエスの目に宿る優しさをごらんになったら、                        そのようなことは何も言わないで、すぐに床から起き上がって、                             自分がどうなるかと考えずに、自分の事をまったく無視して、                              行列の一番しっぽについてでも イエスに従っていくでしょう。ー・・・

ほんとはこの後もっと、まさに福者や聖人というべき熱い語りが続くのですが、                      それはまたいつか。 もし興味があれば、読んでみて下さい。                           

そう、このレビのように                                            同じ場所に何度も座り込んでしまっている自分にきっと気付くだろう。                        そんなとき、私の前に足を止めてくださるイエスに顔を上げることができるだろうか                       私をみつめている その目がどんなか、見ることができるだろうか                            その呼びかけに、何度でも立ち上がることができるようにと 願いながら…

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