わたしの羊は わたしの声を聞き分ける

今日は召命祈願の日でもあったんですね。 そういえば、この復活祭に新しく洗礼を受けた方々もいらっしゃるんですよね、 こんな中でいろいろ難しいこともあったと思いますが、やっぱりとてもうれしく思います。
「洗礼は、肉体の汚れを取り除くことではなくて、 神に正しい良心を願い求めること」 というのはどこの言葉だったかしら…;
召命はその人 それぞれにあると思うけれど、 修道者になったからといって、それで召命が終わった・成就した? ということではないんですよね。 その召命を歩み続ける、というのか。。
今日の聖書と典礼のプリントの寄稿文?に、 ー きょうのみことばの中に「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」とあります。 私たちはイエスから声をかけられて、 「今の私に必要な道を歩ませてください」という羊のような 謙遜な心が大切なのではないでしょうか。ー (井手口 満 聖パウロ修道会会員)
とありました。 イエスの呼びかけは、私たちを神の国へと導くため と思います。 自分のやりたいこと、進むべきだ。と思う道、 固執してしまうなら イエスの声は聞こえなくなってしまうのだろう。
呼ばれる先が よく見えなくて、 私の思い描いているものと違うようにみえて、 不安や、恐れが あっても
呼びかけに耳を傾けつづけて、 ゆっくり顔をあげて、首をめぐらし 少しずつその声のほうへと向きを変えていって… そして 足を踏み出す 勇気も、力も、光も 必ず与えられる。
今日の拝領祈願のことばを心に留めてゆきたいと思いました。
いのちの与え主である神よ、新しい一週間を始める私たちを強めてください。 私たちの日々の生活が、キリストの呼びかけにこたえるものとなりますように。