もしかしたら、ね。
2020年06月22日
先日、男子御受難会にある 十字架の道行きを久しぶりに歩きました。 この道行きは山の中にあって、木立の中を登り下りしながら辿るようにできていて とっても素敵なんです。私も最初の頃、よくお世話になりました。
召命黙想会の方々といっしょに歩いたのですが、朝の光とまだ少しひんやりとした空気の中 登り始めた時、やわらかな深い緑のコケに覆われた岩や地面を見ながら フと、 あ、昔に歩いた山道、こんなだったな~と思い出したんです。 うちの家はすぐ近くに山があって、ちいさい頃よく登ってました。 家族と、おじいちゃんおばあちゃんも居た時もあったな、、何をしに? 普通にハイキングとかだったと思うけれど、なんか水を汲みに行っていた記憶もあるような… と。なんだかね、フシギな感じがしました。昔の自分が見ていた画を、一瞬そのまま見たような そんな感じ。うれしいでしたけどね。
まあ、これは結構後からいろいろ考えながら思ったことなのですが 教会に行ってみようとか、洗礼を受けようとか、召命を考えたりとか、そんなときって もしかしたら、遠い…いや深い かな。 深い、深い、ずーっと前の記憶が揺り動かされているのかも・・・ それは もしかしたら、脳の記憶じゃなくて、心のキオクなのかもしれない・・・なんて、ね。