ひとつの芽が萌えいで、、
これは、頂きもののマザーリーフ。 シスターがお世話してくださって、芽が出てきました。カワイイ! 聖堂のヨセフ様のご像の足元に 、 遠くから見ると、鉢植えの下のトレー 誰か片づけ忘れたんじゃない? と思われるでしょうが、ここにいますよー (笑)
今日の第一朗読イザヤ11・1-10より
エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる。
萌え出た芽って、やわらかで、けれど鮮やかなみどりで ほんの小さいのに、生命 いのちの息吹を力強く感じる。 なんだか分からないけれど、心の底からこみ上げてくる そんなうれしさ。
福音はマタイ3・1-12、洗者ヨハネが現れてくるところ
ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。 「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。 悔い改めにふさわしい実を結べ。ー…
続けて 神父さまの言われた『まだ 間に合う』という言葉、 てっきり聖書に書いてあると思ってしまったけれど 夕方になって読み返したとき、書いて無かったけれど力強くよみがえってきた。 『まだ 間に合う』
ヨハネは荒れ野で叫ぶ者、と言われています。 集まって来た大勢の人々は、まだ間に合う という希望を聞いた、みつけたんじゃないかな。 荒れ野のような 自分たちの生きる世界のなかで、 小さな みどりの芽が萌えでているのをみつけたように。
希望とよろこびを持って、まだ間に合う と。 その先にあるものをみつめながら