秤で、量る。

おひさしぶりです。 最近間が空いてしまってマズイなあ と思いつつ;ポチポチと。 やっぱり、思ったことはその日の中に書いた方がいいんだろうけど、 なんとゆうか、ちょっと持っときたいんですよね、、 そんなに どーなる訳でもないのですが;
あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、さらにたくさん与えられる。 持っている人は さらに与えられ、 持っていない人は 持っているものまでも取り上げられる。 (マコ4・21-24)
もう少し前にあった福音です。 ゆっくり考えながら、そういえば昔のはかりってどんなだったのか、と。 現代のイメージでは「はかり」と言うと=量り、で 物をのせると ピッ と数字が出てくる、そんな感じじゃないでしょうか? でもここで出てくるのは、天秤みたいなのだったんじゃないか? だからどこかで言っているように、錘をごまかして 高く売ったりとか なんとか出来たのですもんね。
ピッと出てくるのは、これだけあげたから、これだけ戻ってくるはず。とか これくらいもらったから、これくらい返す。みたいで、 量っているのは 私 なんですよね。
さて、秤のこっちには 私。 向こうには イエスさま。 どっちが重い? どっちに傾いている?
今日は奉献生活の日ということで 私にとってこの生活の場は、どんなところなのかーとか… 天秤はゆらゆらして、ピッタリ!というのは難しいけれど、 その支点になっているのは、なんだろうかーとか、 そんなことを考えたりしています。