秤で、量る。

2021年02月02日

おひさしぶりです。                             最近間が空いてしまってマズイなあ と思いつつ;ポチポチと。       やっぱり、思ったことはその日の中に書いた方がいいんだろうけど、      なんとゆうか、ちょっと持っときたいんですよね、、            そんなに どーなる訳でもないのですが;


あなたがたは自分の量る秤で量り与えられ、さらにたくさん与えられる。      持っている人は さらに与えられ、                      持っていない人は 持っているものまでも取り上げられる。           (マコ4・21-24)

もう少し前にあった福音です。                     ゆっくり考えながら、そういえば昔のはかりってどんなだったのか、と。 現代のイメージでは「はかり」と言うと=量り、で               物をのせると ピッ と数字が出てくる、そんな感じじゃないでしょうか? でもここで出てくるのは、天秤みたいなのだったんじゃないか?          だからどこかで言っているように、錘をごまかして              高く売ったりとか なんとか出来たのですもんね。

ピッと出てくるのは、これだけあげたから、これだけ戻ってくるはず。とか これくらいもらったから、これくらい返す。みたいで、           量っているのは 私 なんですよね。

さて、秤のこっちには  私。 向こうには  イエスさま。                どっちが重い? どっちに傾いている?

今日は奉献生活の日ということで                   私にとってこの生活の場は、どんなところなのかーとか…        天秤はゆらゆらして、ピッタリ!というのは難しいけれど、        その支点になっているのは、なんだろうかーとか、               そんなことを考えたりしています。

  


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