ちっちゃい子が いた!

2020年08月15日

ふと気配を感じて窓の外を見ると、お庭で虫取り網をふりまわしている人がいる。       まあ、うちの庭でなく男子の修道院のなので、誰かいても良いんですが、           しかし、何をとるんだろう… よく見ると、おじいさんだ。                 なにか珍しい生物でもいるのかいな…うーん、、と見ていると…               あ!草の陰でみえなかったけど、足元にちっちゃい子がいた!                おじいさんの膝くらいの、小さい子供。                          なんだ~ 普通に虫取りか~                               売布の森はカブトもクワガタもいるけど、まさか飛び回ってはいないので(笑)         池の辺りだからトンボとかかな、時々おっきいの飛んでいるし、               青いトンボ毎年みかけるけど、きれいなんですよね。

なんか、そのおじいさんの印象が一瞬で変わったことが心に残って、             なんとなく、思い出したり、考えてみたり、しているうちに思い浮かんできたこと

イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。              「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、             決して天の国に入ることはできない。                           わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」 (マタイ18・2-3、5)

と、もうひとつ

私たちがよりよく生きる唯一の道は、私たちの心のなかに、                 そしてすべての人々の心の中に生きている、小さな弱い子供の近くにとどまって、       ともに生きることだと思う。                               それなのに私たちは しばしば幼いキリストが 自分の中にいることを忘れる。         (ヘンリ・ナウェン 最後の日記)

イエズスの言われる 小さな子供って、なんなのかな。                   自分の中の 小さな子供= 弱さ、もろさ、傷ついてるところ?苦しいところ?         その子供こそがイエズスと本質的にかかわるところ、なのかな、               自分の中の弱さ、本当の自分ってなんなのか、どんな者なのか…認めること、受け入れること? そして、そこにこそイエズスが いる。                          いちばん近く、深く、関わられるのだ、と見ることができるなら               どの人も、全く違うものに見えてくるのかもしれない、                   すべての人に 私には見えていない 小さな子供がいることに気づくなら。


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