ちっちゃい子が いた!
ふと気配を感じて窓の外を見ると、お庭で虫取り網をふりまわしている人がいる。 まあ、うちの庭でなく男子の修道院のなので、誰かいても良いんですが、 しかし、何をとるんだろう… よく見ると、おじいさんだ。 なにか珍しい生物でもいるのかいな…うーん、、と見ていると… あ!草の陰でみえなかったけど、足元にちっちゃい子がいた! おじいさんの膝くらいの、小さい子供。 なんだ~ 普通に虫取りか~ 売布の森はカブトもクワガタもいるけど、まさか飛び回ってはいないので(笑) 池の辺りだからトンボとかかな、時々おっきいの飛んでいるし、 青いトンボ毎年みかけるけど、きれいなんですよね。
なんか、そのおじいさんの印象が一瞬で変わったことが心に残って、 なんとなく、思い出したり、考えてみたり、しているうちに思い浮かんできたこと
イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。 「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、 決して天の国に入ることはできない。 わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」 (マタイ18・2-3、5)
と、もうひとつ
私たちがよりよく生きる唯一の道は、私たちの心のなかに、 そしてすべての人々の心の中に生きている、小さな弱い子供の近くにとどまって、 ともに生きることだと思う。 それなのに私たちは しばしば幼いキリストが 自分の中にいることを忘れる。 (ヘンリ・ナウェン 最後の日記)
イエズスの言われる 小さな子供って、なんなのかな。 自分の中の 小さな子供= 弱さ、もろさ、傷ついてるところ?苦しいところ? その子供こそがイエズスと本質的にかかわるところ、なのかな、 自分の中の弱さ、本当の自分ってなんなのか、どんな者なのか…認めること、受け入れること? そして、そこにこそイエズスが いる。 いちばん近く、深く、関わられるのだ、と見ることができるなら どの人も、全く違うものに見えてくるのかもしれない、 すべての人に 私には見えていない 小さな子供がいることに気づくなら。