それは宣教?
降誕節の終わりとともに、 300年記念のイコンも次の国へと旅立って、すこし寂しく感じます。 きっと、巡ってきた国々の御受難会員の祈りも イコンといっしょに、ここにあったんだなぁ… と。 次はインドネシアだそうです。 船旅、どれくらいかかるんだろう? 無事に届きますように!
今日の福音マルコ1・40-45 では、 重い皮膚病を治してもらった人が、そのことを大いに言い広めて イエスが公然と町に入ることができなくなってしまう。 という所が印象に残りました。
イエスのことを宣べ伝えるのと、この人のしたこと、何が違うのか? 言い広めたことによって、逆にイエスを閉め出してしまった。
なんとなく、今日の第二朗読 サムエル上4・1b-11、で 神の箱を自分たちのところに運んできて 大歓声をあげたけれど、 結局 打ち負かされてしまったイスラエル軍のことが思い出されました。 神の箱も奪われてしまった。
福音で、治してもらった人の中には何があるのかな。 ひざまずいて願ったこと、 イエスが深く憐れんでくださったこと、その眼差し、 触れてくださったこと、その感触、
まだ、残っているだろうか?