それは宣教?

2022年01月13日

降誕節の終わりとともに、                                           300年記念のイコンも次の国へと旅立って、すこし寂しく感じます。                         きっと、巡ってきた国々の御受難会員の祈りも                                       イコンといっしょに、ここにあったんだなぁ… と。                                    次はインドネシアだそうです。                                            船旅、どれくらいかかるんだろう?  無事に届きますように!

今日の福音マルコ1・40-45 では、                                         重い皮膚病を治してもらった人が、そのことを大いに言い広めて                              イエスが公然と町に入ることができなくなってしまう。                                 という所が印象に残りました。

イエスのことを宣べ伝えるのと、この人のしたこと、何が違うのか?                            言い広めたことによって、逆にイエスを閉め出してしまった。

なんとなく、今日の第二朗読 サムエル上4・1b-11、で                                  神の箱を自分たちのところに運んできて 大歓声をあげたけれど、                                                結局 打ち負かされてしまったイスラエル軍のことが思い出されました。                        神の箱も奪われてしまった。

福音で、治してもらった人の中には何があるのかな。                                   ひざまずいて願ったこと、                                            イエスが深く憐れんでくださったこと、その眼差し、                                 触れてくださったこと、その感触、                                       

まだ、残っているだろうか?


無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう