それでも、来てください
ー 主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下に お迎えできるような者ではありません。 ただ、ひと言おっしゃってください。 そうすれば、わたしの僕は いやされます。ー (マタイ8-11)
ちょうど先週の福音を思い出しながら、 今日のミサでのお話を聞いていました。 この箇所が、英語のミサでは聖体拝領前の信仰告白の文なのだ。と聞いて 日本の言葉とは だいぶ違うんだなぁ、と驚きました。 最後だけ「わたしは 癒されます」になるのかな?
というか英語のミサは何回かしたことあるのに、 字だけ読んでいたんだなと; なんか、音は聞いたことあるんですけどね…
今日のお話しから、 なにがあってもイエスの前に行きたい。阻むものが あっても。 それでもイエスを見ようとする人に、イエスは言う あなたの罪はゆるされた。 罪とは、イエスの前に行こうとしないこと、離れようとすること。と 言われていました。
もし「私」を見るなら、どうしようもない自分に 落胆することしかできないだろう。 「私」を信じるなら、そこから一歩も動くことができないだろう。 そんなふうに 思う。
だから、私ではなく「あなた」を見ることができるように 私の目を開いてくださるように それでも、来てください。と
待降節、主を待ち望むときだけれど 本当に待っているのは、イエズスのほうなのかも しれない。