それでも、来てください

2021年12月06日

ー 主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下に                                        お迎えできるような者ではありません。                                       ただ、ひと言おっしゃってください。                                             そうすれば、わたしの僕は いやされます。ー  (マタイ8-11)

ちょうど先週の福音を思い出しながら、                                        今日のミサでのお話を聞いていました。                                        この箇所が、英語のミサでは聖体拝領前の信仰告白の文なのだ。と聞いて                          日本の言葉とは だいぶ違うんだなぁ、と驚きました。                                最後だけ「わたしは 癒されます」になるのかな?

というか英語のミサは何回かしたことあるのに、                                          字だけ読んでいたんだなと;                                            なんか、音は聞いたことあるんですけどね…

今日のお話しから、                                               なにがあってもイエスの前に行きたい。阻むものが あっても。                               それでもイエスを見ようとする人に、イエスは言う                                   あなたの罪はゆるされた。                                            罪とは、イエスの前に行こうとしないこと、離れようとすること。と                           言われていました。

もし「私」を見るなら、どうしようもない自分に 落胆することしかできないだろう。                  「私」を信じるなら、そこから一歩も動くことができないだろう。                          そんなふうに 思う。

だから、私ではなく「あなた」を見ることができるように                             私の目を開いてくださるように                                           それでも、来てください。と                                              

待降節、主を待ち望むときだけれど                                           本当に待っているのは、イエズスのほうなのかも しれない。

                                                                                                               

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