その目の おがくず

2022年02月27日

今日の福音 ルカ6・39-45 から、

盲人が盲人の道案内をすることができようか。                                      2人とも穴に落ち込みはしないか。                                           弟子は師にまさるものではない。                                            しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。                          あなたは、兄弟の目にある おが屑は見えるのに、                                       なぜ自分の目の中にある丸太に気付かないのか。

ちょっと思ったこと@自分memo                                            

自分が見えない者だと分かっている人が、人の道案内をしようとするだろうか?                       弟子は修行して師のようになるとしても、                                         自分の師が誰か忘れてしまったら、意味があるだろうか?

これ、いちばん言いたいことは何なんだろう                                           「誰かの目のおが屑を取り除く」ことが出来るようになれってことなんだろうか?                          

自分の目の丸太を、誰が取り除くことが出来るのだろうか。                                 自分の目には丸太があって、見えない者なのだと分かるなら、                                誰が人の目におが屑がある。と言えるのだろうか。                                おが屑ってなんだろう?                                               

(第一朗読シラ書27・4-7 から)                                               ふるいを揺さぶると滓が残るように、                                          人間も話をすると欠点が現れてくるものだ。

ふるいに残る滓=欠点                                                なんとなくおが屑と似たようなものに感じる…                                   そういうことでは無いんだヨ。と言われるかもしれないけれど、                               欠点は長所にもなるし、長所は欠点にもなり得る。とはよく聞く話し。

私がその人の中に見た と思う おが屑。それはいったい何ですか?                              私の目には丸太があるんだけど、いったい何が見えたんですか

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