すべては空しい… のか?

2024年09月26日

コヘレトは言う。                                               なんという空しさ                                              なんという空しさ、すべては空しい。

何もかも、もの憂い。                                             語り尽くすこともできず                                            目は見飽きることなく                                            耳は聞いても満たされない。                                          かつてあったことは、これからもあり                                     かつて起こったことは、これからも起こる。                                   太陽の下、新しいものは何ひとつない。                                    (第一朗読コヘレトの言葉1・2-11より)


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イエスが言われた。                                             「それでは、あなたがたは わたしを何者だと言うのか。」                             ペトロが答えた。「神からのメシアです。」                                   

イエスは弟子たちを戒め、                                            このことを だれにも話さないように命じて、                                   次のように言われた。                                            「人の子は必ず多くの苦しみを受け、                                      長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、                               三日目に復活することになっている。」                                     (福音朗読 ルカ9・18-22より)


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コヘレトのこの有名な「空しい」発言、                                         今までは、まあ 確かに間違っちゃいないかも… と思ったりしていました。                        でも今日のルカ福音を読むうちに、                                       このイエスという人、その出来事は 今までにもなかったし                                これからも決して起こらないこと                                          ただひとつの こと なんだ、と。

このイエスというかたは、何なのか。                                        その空しさを満たすものは、何なのか。

少し前のミサでの神父様の言葉、                                         「私たちに本当の自由を教えてくれるもの、                                   それはイエス・キリストの御受難です」                                     

この言葉が繋がっている気がしてならないのです。



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