すべては空しい… のか?

コヘレトは言う。 なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。
何もかも、もの憂い。 語り尽くすこともできず 目は見飽きることなく 耳は聞いても満たされない。 かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起こる。 太陽の下、新しいものは何ひとつない。 (第一朗読コヘレトの言葉1・2-11より)
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イエスが言われた。 「それでは、あなたがたは わたしを何者だと言うのか。」 ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
イエスは弟子たちを戒め、 このことを だれにも話さないように命じて、 次のように言われた。 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、 長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、 三日目に復活することになっている。」 (福音朗読 ルカ9・18-22より)
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コヘレトのこの有名な「空しい」発言、 今までは、まあ 確かに間違っちゃいないかも… と思ったりしていました。 でも今日のルカ福音を読むうちに、 このイエスという人、その出来事は 今までにもなかったし これからも決して起こらないこと ただひとつの こと なんだ、と。
このイエスというかたは、何なのか。 その空しさを満たすものは、何なのか。
少し前のミサでの神父様の言葉、 「私たちに本当の自由を教えてくれるもの、 それはイエス・キリストの御受難です」
この言葉が繋がっている気がしてならないのです。