ご聖体の中の宇宙。

2021年09月12日

ちょっと機会があって、教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」を                         読み直す(といっても難しいところは飛ばして ざっとなんですが;)ということをしました。                 

今回は、サブタイトルにある「ともに暮らす家」というところに注目して、                      なお且つラウダート・シ のなかでは、ともに暮らす家=私たちの住む地球(であろう)                   というのを、ともに暮らす家=共同体 (いま自分のいるところとしての)として                      そこに照らし合わせながら読んでみたのです。

前に読んだときはどうだったのか、                                      何か難しいなぁ…と思ったような記憶しかなかったのですが                                そうして読んでみると、全然違った印象を受けました。                                 こんなこと、書いてあったのか~ と。                                          なんだかとても良い機会を頂いたなーとカンシャしています。

先日からまた緊急事態宣言の続く中で、                                                     ミサもなく、ご聖体も受けることができないことが普通になってきている。                           そんな中で、修道院の中で行われるミサ、ご聖体をいただくこと、                             この意味はなんなんだろう。と思う                                          

聖体賛美式で、ご聖体をみつめながら                                        ラウダート・シに書かれていた言葉がぐるぐるとまわっていました。

実に、聖体は、宇宙的な愛の行為そのものです。                                     「そうです、確かにそれは宇宙的です。                                        なぜなら、たとえ田舎の ささやかな祭壇で行われていたとしても、                            感謝の祭儀はつねに ある意味で『世界という祭壇の上で』行われているからです。

全世界、すべて創られたもの、                                                      求め、祈り  願う  すべての人々を、この祭壇から                                 見つめ、抱き、包み込んでいるんだ…                                         そんなふうに感じさせられます。                                 

                                                          

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