ご聖体の中の宇宙。

ちょっと機会があって、教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」を 読み直す(といっても難しいところは飛ばして ざっとなんですが;)ということをしました。
今回は、サブタイトルにある「ともに暮らす家」というところに注目して、 なお且つラウダート・シ のなかでは、ともに暮らす家=私たちの住む地球(であろう) というのを、ともに暮らす家=共同体 (いま自分のいるところとしての)として そこに照らし合わせながら読んでみたのです。
前に読んだときはどうだったのか、 何か難しいなぁ…と思ったような記憶しかなかったのですが そうして読んでみると、全然違った印象を受けました。 こんなこと、書いてあったのか~ と。 なんだかとても良い機会を頂いたなーとカンシャしています。
先日からまた緊急事態宣言の続く中で、 ミサもなく、ご聖体も受けることができないことが普通になってきている。 そんな中で、修道院の中で行われるミサ、ご聖体をいただくこと、 この意味はなんなんだろう。と思う
聖体賛美式で、ご聖体をみつめながら ラウダート・シに書かれていた言葉がぐるぐるとまわっていました。
実に、聖体は、宇宙的な愛の行為そのものです。 「そうです、確かにそれは宇宙的です。 なぜなら、たとえ田舎の ささやかな祭壇で行われていたとしても、 感謝の祭儀はつねに ある意味で『世界という祭壇の上で』行われているからです。
全世界、すべて創られたもの、 求め、祈り 願う すべての人々を、この祭壇から 見つめ、抱き、包み込んでいるんだ… そんなふうに感じさせられます。