ご聖体の祭日に間に合わずでしたが、、

2021年06月09日

ご聖体の祭日に、なにか書けたら…と思っていたのですが、出てこず。                               みこころの祭日の前に、ちょっとメモしておこうかな、と。

今週の福音朗読で、あなたがたは地の塩、世のひかり  の箇所がありましたが、                         そのときの神父さまの言葉、                                             イエス=私たちの塩(霊的な)が印象に残っています。

塩にとっての塩気も、ひかりにとっての光るということも、                               それが無いなら、もう そのものじゃない。                                          じゃあ、人にとっての 私たちにとってのイエズスとは、ご聖体とは何なのだろう。                                  

ー まして、永遠の「霊」によって、                                              御自身をきずのないものとして 神に献げられたキリストの血は、                                    わたしたちの良心を死んだ業から清めて、                                              生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか ー

ご聖体の祭日に読まれた ヘブライ人への手紙の箇所ですが、                           読み返しながら、そういえば昔は いのちは血の中にあると思われていたんだっけ…?                                などと思いながら、、人にはいのちが無くては確かに意味がないけれど、                            「いのち」は「生きる」ということに必要な、そういうものなのかな、、

で、も思い出したのが、                                           ー友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない ー (ヨハネ15・13 )                  

この言葉、教会の祈りの交唱にもあるのですが、それではこうなっているんです                      ”友のために  いのちをかけて 生きる これより大きな愛はない”

これを読んだとき、ああ  こういうことだったのか…!と、                               なんていうのか、驚きと嬉しさがあったのを覚えています。                              死なないといけないと思っていたけれど、                                     死ぬっていうのは、いのちをかけて生きることなんだ、と。

何か引用ばかりになってしまってアレなんですけれど;もうひとつだけ、                        ちょうど今読んでいる本の中にあった言葉。

ー マザー・テレサが言われる                                               「死んでいく人にもパンは必要ですが、愛こそが必要です。                                    あなたに生きてほしい、あなたには生きる価値がある」                                    という慰めの言葉は、人間が一番聞きたい言葉です。ー 

ご聖体は私たちの何なのだろうか?                                       ご聖体にはイエズスのどんな想いがあるのだろうか、                                 生きるものとなるために、受けとめてゆけたら とそんなふうに思います。                




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