からし種とパン種。

2021年10月26日

秋がきたな~ と思ったら、なんだかあっという間に                                   駆け抜けていってしまいそうな雰囲気に、                                     ちょ、ちょっとまって~と引っ掴んでとどめたい気分。                                  

なんとゆうか、秋の穏やかさを まだちゃんと味わえてないのかな。                               先の予定とかいろいろ考えて                                            心がせわしなくなってしまっているのかも…                                       いったん深呼吸して、、あ~…空が見たいなぁ

今日の福音、ルカの13・18~ からし種とパン種 のたとえ。でしたね                           神父さまのお話しの中で、                                              からし種=私たち。とても小さなもの、弱いもの                                          蒔く人=イエスさまです。と言われていました。                                        

それでもイエスさまは そんな取るに足らない小さなもの、                            私たちを通して神の国を現わしてゆこうとされるのか、と思う。

パン種のほうは、なんだかもうちょっと意味深に感じます。                                                                                  いまどき、おうちで簡単パン作りとかされる方々には馴染みがあるものと思いますが、                        イースト、インスタントイースト、粉にちょっぴり入れて発酵させるもの。ですが                         

ここで言われているパン種、ちょっとそのイメージとは違うんじゃないかな、と。                     この時代、しかも毎日食べる 家用のものでしょう                                   きっと、前の日に捏ねた生地からとっておいたもの だと思うんですよね、                          毎日毎日そうやって種つぎしてパンをつくってゆく。                              そういう パン種。                                                     いったん捏ねられたものが、また次の種となってゆく…                                と思うと少しイメージが変わってくるなーと思いました。

今日の第一朗読 ロマ8・18~

被造物がすべて今日まで、共にうめき、                                    ともに産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。                          被造物だけでなく、霊の初穂をいただいているわたしたちも、                                 神の子とされること、つまり体の贖われることを、                                     心の中でうめきながら待ち望んでいます。

読みながら、新しいパン生地とパン種、                                          捏ねられてひとつになって、発酵してふくらんでゆくのかな、と。                            捏ねられるー苦しみを共にするってことかな、と思ったり。

小さくて弱いわたしたちの中に、                                       人々の憩う大きな木、みんなのお腹を満たすパンとなる種が、きっとあるのだ。

                                                                                                

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