かみさま の ていねいさ
今日の神父さまのお話し の中のことば。 「神のていねい さ」 毒麦は入っていなかったと断言できる、ということ。 ひとつ ひとつ種を見て準備されたのだろう、という。
映画や何かで時々、ガンマンとかが 自分の使う弾をひとつひとつ見て 選り分けてる姿を思い出した。 …これってあんまり良くない例えでしたかね; でも自分の命を託す物、と思うと 神さまがご自分の いのち を託す、与える?種として 選り分けられた、大丈夫。というほうに入れてくださった、と思うなら ちょっと ぐ、と来るものがあるように思います。
僕は毒麦を抜いておきましょうか。と簡単に言うけれど 間引きとか、けっこう難しいんですよね。 丈夫そうなののすぐ横の細っこいのを抜こう。と思っても、まだ根も浅かったりで 結局もろとも抜けて、、あぁあ… … … と。(笑;
ていねい さ、というものの私の中での感覚は、 指先にこもる 力、みたいなものです。 何かを置くとき、ドアや何かを閉めるとき、最後の一瞬 意識が通る、力がこもる。そんな感覚 いつもいつも緊張してるわけじゃないけれど、でも時々 離す瞬間に、 あ、あとほんの少し…と思うとき、これはどこから来るんだろう と思う。
指先にかかる一瞬のささやかな重みのように、 神さまのていねい さ、を感じとれたらいいなと思います。