あなたを探して

イエスはエリコに入り、町を通っておられた。 そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。 イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。 それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。 そこを通り過ぎようとしておられたからである。 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
ルカ19・1-10 今日はザアカイの箇所。 最近、ときどき英語の聖書もいっしょに見てみたりしてます。 (って言ってもその中の短い文だけちょっと選んで~という感じですよ。 ) 「ぜひあなたの家に泊まりたい 」というところ、 なんか日本語訳には無い言葉がある?と思って辞書で調べたりしてましたが、 ちゃんと神父さまのお話しに出てきました! スゴイな~…
「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」原語はもっと強い 不自然なほどの強い意味、 「今日、あなたの家に泊まらねばならない」なのだそうです。
良い羊飼い、良い牧者であるイエス の流れの中で考えているけど、 イエスはザアカイのところに来た。ザアカイは徴税人の頭だったけれど、 きっとイエスが私のところに泊まりたい。と言ったとしても みんな言うだろう、なんであんな人のところに?って。 そのとき、私はどうするんだろう、なんて言うんだろう?
そしてイエスは言われる 「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
でも、ザアカイが良いことをするって言ったから じゃないのかも。 救いが訪れたーイエスが来た ということなんじゃないかな。 それでザアカイは よろこびに満たされちゃったんだ、 イエスに見つけられた、迎えられた、なんの条件もホントは無いんだ。 湧き出たよろこびの言葉なんだ。
神父様のお話しの中で、自分の本当の価値を知ったよろこび。 ザアカイの、「こう生きねばならない」が神さまの「ねばならない」に負けたのだ。 神さまの「ねばならない」は、 「引き渡されなければならない」「十字架につけられなければならない」(マタイ20.19) というのと同じ意味。という言葉も印象に残っています。
イエスはザアカイを探して、来たんだ。 イエスは 私を探しているんだ。みつけて、すくうために 何かのついででなく、ただの偶然でもない 私を、あなたを探してイエスは来たんだ。