あなた を 忘れるなら、
やっぱりミンミン蝉は夏の盛りを過ぎてからのようですね。 朝起きたときの温度に、おや?と思いましたが、 夕方にはたくさんのソリストたちの声を聞くことができました。 でもこの方たち、数の問題もあるんだろうけど合唱とかできるのかな、 想像するだに喧しそうだけれど(笑) みなさんの所ではどうでしょう?
今朝の神父さまのお話しの中に、「私が 神になる」自分の心が神の心となる。ということ、 神さまへの信頼が薄れてゆくとき、人がすることのうちの1つ、だったかな。 というのがあって、あーそういうの大得意だよねえ と思いながら聞いていました。 自分を正当化すること、いろんな理屈こねて、つくりあげて、 私は間違っていない。私は正しいはずなんだ。と、自分を守ってる。 そこに何もないと、本当はわかっているのかもしれないけれど…
今日の晩課を歌っているとき、なんだかいろいろ浮かび上がってくるようでした。
エルサレムよ もしも、わたしがあなたを忘れるなら わたしの右手は なえるがよい。 もしも、あなたを思わぬときがあるなら もしも、エルサレムをわたしの最上の喜びとしないなら。 (詩編137・5-6)
私 を守る、私 しかない生き方から、かわってゆけるだろうか? 本当の喜び、誰とともに あるんだろう。