あなた を 忘れるなら、 

2020年08月18日

やっぱりミンミン蝉は夏の盛りを過ぎてからのようですね。                 朝起きたときの温度に、おや?と思いましたが、                      夕方にはたくさんのソリストたちの声を聞くことができました。               でもこの方たち、数の問題もあるんだろうけど合唱とかできるのかな、            想像するだに喧しそうだけれど(笑) みなさんの所ではどうでしょう?

今朝の神父さまのお話しの中に、「私が 神になる」自分の心が神の心となる。ということ、  神さまへの信頼が薄れてゆくとき、人がすることのうちの1つ、だったかな。         というのがあって、あーそういうの大得意だよねえ と思いながら聞いていました。      自分を正当化すること、いろんな理屈こねて、つくりあげて、                私は間違っていない。私は正しいはずなんだ。と、自分を守ってる。             そこに何もないと、本当はわかっているのかもしれないけれど…

今日の晩課を歌っているとき、なんだかいろいろ浮かび上がってくるようでした。

エルサレムよ もしも、わたしがあなたを忘れるなら                    わたしの右手は なえるがよい。                             もしも、あなたを思わぬときがあるなら                          もしも、エルサレムをわたしの最上の喜びとしないなら。                  (詩編137・5-6)

私 を守る、私 しかない生き方から、かわってゆけるだろうか?               本当の喜び、誰とともに あるんだろう。

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう