あきらめる、あきらめない、

昨日くらいかな、朝窓を開けたとき 「お。」と思ったけど 今日はもう 窓から入ってくる風に色がついてるみたいに 香り、かおり、 金木犀のキセツ ですね。 たぶんこの時期、毎年言ってると思う…(毎年って、そういえばこのblog何年目なんだろ) 花はまだ見れて無いです。 少しお散歩できるような時間が持てたら いいな。
今日のミサでのお話しから、、 祈り続けなさいと私たちに言うイエス。祈り続けることは難しいから。 諦めない やもめ、諦めた 裁判官。なにを諦めたんだろう 「神など畏れない、人を人とも思わない」ってどういうことなんだろう
第一朗読、出エジプト17・8-13 がなんだか好きでした。
モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、 手を下ろすと、アマレクが優勢になった。 モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持ってきてモーセの下に置いた。 モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。 その手は、陽の沈むまで、しっかりと上げられていた。ー…
祈り続けるのは難しい。 モーセの手は重くなったけれど、もうやめようと思ったわけじゃない。 その場所から、丘の頂から降りようとはしなかった。 モーセはあきらめなかったし、同じところにいた二人もあきらめなかった。 日の沈むまで支え続けるのも、結構たいへんなことだと思う、 モーセの手も支えてもらって、ときどき力を取り戻したんだろうな、、
…とか思いながら、この観想修道会という 祈り続けるために集まった(よばれた?) 共同体のことが重なってくるように感じました。 「折が良くても悪くても励みなさい」とは第二朗読に出てくる言葉。 折が良い時も、悪い時も必ずある。どうしても手が上げられない時だって ある。 そんなとき、きっと支えられているし、支えてもいるんだ と思う。