あきらめる、あきらめない、

2022年10月16日

昨日くらいかな、朝窓を開けたとき 「お。」と思ったけど                                今日はもう 窓から入ってくる風に色がついてるみたいに 香り、かおり、                           金木犀のキセツ ですね。                                              たぶんこの時期、毎年言ってると思う…(毎年って、そういえばこのblog何年目なんだろ)                花はまだ見れて無いです。                                               少しお散歩できるような時間が持てたら いいな。

今日のミサでのお話しから、、                                            祈り続けなさいと私たちに言うイエス。祈り続けることは難しいから。                             諦めない やもめ、諦めた 裁判官。なにを諦めたんだろう                                    「神など畏れない、人を人とも思わない」ってどういうことなんだろう

第一朗読、出エジプト17・8-13 がなんだか好きでした。                                 

モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。                                   モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、                                    手を下ろすと、アマレクが優勢になった。                                         モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持ってきてモーセの下に置いた。                        モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。                    その手は、陽の沈むまで、しっかりと上げられていた。ー…


祈り続けるのは難しい。                                                モーセの手は重くなったけれど、もうやめようと思ったわけじゃない。                           その場所から、丘の頂から降りようとはしなかった。                               モーセはあきらめなかったし、同じところにいた二人もあきらめなかった。                        日の沈むまで支え続けるのも、結構たいへんなことだと思う、                           モーセの手も支えてもらって、ときどき力を取り戻したんだろうな、、                              

…とか思いながら、この観想修道会という 祈り続けるために集まった(よばれた?)                 共同体のことが重なってくるように感じました。                                       「折が良くても悪くても励みなさい」とは第二朗読に出てくる言葉。                         折が良い時も、悪い時も必ずある。どうしても手が上げられない時だって ある。                     そんなとき、きっと支えられているし、支えてもいるんだ と思う。      


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