「スキップ」は、できない
こうやってPCを触っていると、最近目にし始めたこと。 ユニセフの短い広告動画。 避難する人々の姿、支援する人々の姿、またその声も聞くことができます。 広告だから、最初の数秒で飛ばすことができるのですが、 この動画は、スキップすることはできない。
このユニセフ広告で、最近見たもののなかに、 今ウクライナに住んでいる女の子の撮った動画(インスタで発信しているものかもしれない。) を使っているのがありました。 戦争が始まった日 から、サイレンの音、防空壕と自宅を行き来する日常… そして画面の向こうから、まっすぐにこちらを見つめながら 「戦争をやめてください。」という言葉で終わります。 女の子の顔は 最初とは どこか、なにか違って見える。 この動画は、私たちに伝えたいことがあるんだ、 だから発信され続けているんだ。 私たちには、それを受けとめる役割がある。 受けとめて、考え続けてゆく。 だからスキップはしない、したくないんだ。
この金曜日歩いた十字架の道行きを 思い出す。 イエスの受けた 苦しみ、痛み、 十字架 … イエスが私たちに、どうしても伝えたいこと。 受けとめるために、見つめ続けること。 なにか 重なって迫ってくるように感じたのでした。